母親への愛着障害について

いろんな体験者のお話を聞いていると、家庭内の性的虐待で、いちばんネックになるのはやはり母親との関係だとつくづく感じます。私がいちばん苦しんだのも、父親にではなく、母親でした。

色々な母親がいますので、一概にはいえませんが、夫が娘を性的対象にするというのは、女性としての危機でもあり、複雑なものがあるでしょう。

そもそも起きた事実が受けとめられないことが多いですし、性虐待に薄々気づいていても、見て見ぬふりをする、発覚後も適切な対策をしないで放置するケースは残念ながら、多いようです。

たとえ性虐待を訴えても、「あんたがトロいからだ」という母親もいます。どうしていいかわからず、子供を責めてしまうんですね。なんとも残酷なことです。

世間体を重視したり、経済的基盤を失いたくない、という理由で、別居や離婚などは到底、考えが及ばず、かといって「あなたは何も悪くない」と言って、抱きしめることも守ることもしない。その結果、被虐待児は家庭の中で孤立してしまう。

これがいちばんきついところだと思います。庇護され、守られるべき親に両方とも見捨てられてしまう。そんな中でも人は成長し、社会に出て懸命に生きていきます。

ちなみにうちの場合は、ようやく母に訴えたときは「なんでそんなことするの?」と目の前で一応、叱ってはくれましたが、その後はヒソヒソと二人で話し合うばかりで、私は放置されました。何を話しているんだろう、と遠くから眺めていました。

私は当然、子供のために話し合ってくれているんだろう、と思っていましたが、今思うと、母は自分のバランスをとることに精一杯で、子供には関心が向かなかったのだろうと思います。その後、特に母と話すこともなく、慰めてもらうこともなく、また日常が始まりました。

「あなたは何も悪くない」「あなたのことは私が守るから」「何かあったらすぐに言ってね」、そんな言葉がけが必要なのだと今ならわかりますが、それは理想であって、なかなかそう言ってくれる母親はいないんですね。

当時、母は十分に父に諭してくれたに違いない、と自分に都合よく解釈していましたが、結局、回数が減っただけで、虐待は止まりませんでした。それもそのはずで、父親は何がいけないのかがいまだにわかりません。

大学生の頃にも寝ている私の部屋に入ってきて、ボーッと立っていることがあり、私は恐ろしくて寝ているふりをしながら、もし布団に手を入れたら、泣き叫んでやろう、と身を固くしていました。おそらく性の衝動が制御不能なのでしょう。

夢遊病者のように、私の部屋にきてしまい、なんとか手を出さずに立っている。そんなふうでした。そこで止められたのはおそらく私の身体や意識が大人になっていたからで、もし拒否できない小さい子供であれば、またやっていたのだと思います。

父は人に叱られると「これはいけないことなのか」となんとなくは思うけれど、自分自身の中では悪いこと、という感覚がないのです。人間になれないままの、獣の脳の持ち主です。いえいえ小鳥だって動物だって、相手の同意を得て行うことで、寝込みを襲ったりはしませんよね。

なぜいけないのかが今ひとつわからないので、罪悪感もありません。謝るのは、叱られたから、という現象に対する謝罪です。(病的な人は一定数いると思いますので、性犯罪者には海外のようにGPSをつけて監視し、家庭内の場合は完全隔離を義務づけてほしいと思います)

さて、当時の母親はただただ悲嘆し、夫をなじったり、悲しみを訴えたりしていたのでしょう。どうしたら子供を守れるか、というところには頭がいかなかったようで、物理的にも精神的にも、私が守られることはありませんでした。

性虐待に限らないことですが、大人になっても子供から永遠に搾取しようとする悪質な親も実際にいますから、親を敬い、助けよ、とはいえないケースは存在します。

親孝行したいけれどもできない人もいる。親と距離を置かなければ、身の安全、心の安全が守られない人もいる、ということをぜひご理解いただきたいと思います。

一見普通にみえる家庭でも、性的虐待心理的暴力は目に見えません。

私の母親の場合は、元々自己否定感が強く、年を経るにつれて、私への不平、不満が多くなっていきました。私が思い通りにならないと機嫌が悪くなるのです。

一体、どんな理想があるのかわかりませんが、がんばってもがんばっても重箱の隅をつつくように、もうちょっとあそこがここが、と要求する。親孝行になればと思ってしたことにも、もっとこうして欲しかった、こうして欲しくなかったと、到底、こちらの予測がつかないことへの文句が続きます。満足や感謝はないのですが、「気に入る」ときはあって、そういうときだけ一瞬、子供のように上機嫌になります。

母だと思うがゆえに、私はそういう母をさほど異常だとも思わずにいました。子供を見守り、励ますという「母なるもの」からは遠い姿だったんですけどね(^。^)

そんな感じで、30代頃からは父親に、母親との接触を避けてくれ、家には来ないでくれ、と言われるようになりました。母親の不機嫌の対象はつねに私でした。

おそらく夫婦の心の問題、夫への不満もあるはずですが、依存先である夫には向けられず、不平、不満は弱い立場の私に集中していったのです。

そんな経緯の中で、私は母への激しい愛着障害を起こしていました。母に認められたい、承認されたい、という欲求です。

大人になれば、母親が認めても認めなくても、自我の確立ができるはずですが、私は母という他人にすっかり自分の評価を預け、成人後もずっと母親の支配下にいることに甘んじていました。

母に愛されたい、という欲求は根源的なものですが、機能不全家族の場合、母親は自分のことで精一杯で、子供の気持ちを汲み取るような余裕はありません。

以前書いたように家庭内ストックホルム症候群で、「そんなはずはない。本当は愛してくれているはずだ」と思い続けた数十年でした。

今の私は、母に求めなくなり、期待に答えるのもやめました。もっと早く見切りをつけて、私は私で生きていけばよかったのに、ずいぶん遠回りしてしまいました。

親には親の人生があり、彼らの問題も彼らのものです。アドラーのいう課題の分離ですね。「不足、不十分」は彼女の心の中にあって、他人が埋めてあげることはできない。それに応えようとすれば、共依存になってしまいます。

母から届いた最後の手紙には「淋しい晩年は当然の帰結です」と言いながら、私の仕事への批評、批判が同時に綴られていました。うーん、どうしてもやめられないか、笑。ですが、これが彼女の真実であり、彼女にとって批評、批判は正当なものなのです。

私は母の気にいる娘であることを辞めて、自由になりました。母親との固着に比べると、父のことはどうでもよく、求めていたのはひたすら母の優しさでした。父はそもそも子供に性虐待を始めた時点で、父という役割を降りてしまったのだと思っています。

親に認められなくても、愛されなくても私は私。遠回りでも、不器用でも、弱くても、ゆっくりでも、なんでもいい。運命を受け入れて生きていけるということは、素晴らしいことだなと思うのです。

これは私のケースで、人それぞれ親の性格も違いますし、兄弟がいればいたで、兄弟からも理解されなかったり、自分だけが虐待を受けたという悲しいお話もよく聞きます。

性虐待は記憶の苦しみ以上に、その後に続く家族関係の苦しみが大きいのではないでしょうか。

同じような体験をしたみなさん、乗り越えるまでには時間がかかるかもしれませんが、それだけ価値のある人生です。一緒にがんばっていきましょう💕


カタバミアカツメクサです♩