EPOさんの記事、読みましたか?
みなさま、しばしご無沙汰しましたが、
いかがお過ごしでしょうか。
私はその後、何人かの同じ体験者の方々と
交流を深める日々でした。
素晴らしい感性を持った方々に
出会えたことは僥倖です。
その中で少しづつ準備を始めたり、
計画していることもあります。
遠く離れていても
必要な人に出会える便利な時代です。
ネットの時代、素晴らしい。。
さて、年明けのNEWSで流れてきた
このEPOさんの記事がなかなか衝撃的で、
うちの母とかなり似ているところが多く
うーん、と考えさせられました。
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20181203-OYTET50075/
EPOさんのように包丁で刺した、刺された、という虚言はありませんでしたが、自分の都合のいいように他人に悪口を言いふらされたりするに至り、もうどうにもならない、と観念した経緯はほぼ同じです。
勝手に病名をつけるわけにはいきませんが、母の度々繰り返す「褒め上げた後に急にこきおろす」(思い通りにならないとすぐに相手を恨む)、「自分の妄想で、夫や周囲を信じ込ませる」などの傾向はEPOさんの母親と同じ、境界性人格障害にかなり近いのではないかと思っています。
周囲の人はこういう人もいるのだ、としっかり自覚しないと何が本当だかわからなくなってしまいます。子供の頃は親がどれくらい心を病んでいるのかわかりませんし、たとえ途中でおかしくなっても克服したり、しっかり成長する人もいますので、一概にはいえませんが、母はだいぶ前から壊れていたのではないか、と今は思っています。
私のせいではなく、それ以前に、です。もはや事件が発覚したとき、彼女には適切な対処をする力がなかったのだとも思えます。
理由についてはさまざまあると思いますが、子供への性虐待という悲劇も、こういう歪みの中からある種の結果として、現象として生まれてくるもので、元々は夫婦の相性の問題であって、もし結婚した相手が別の人であれば、彼も、彼女も、まったく違った人生になっていたでしょう。彼女だけが悪いのではなく、運命の問題というか。
とはいえこれが自分の選んだ運命だとしっかり受けとめ、そこから自分を立て直していくしかないのですが、親といえども他人なので、他人の人生に介入することはできない、というのが私の基本的なスタンスです。少なくとも一人の人間として理不尽に責任を押しつけられたり、依存先にされることは、避けなければなりません。
同じ体験者の方々のお話を聞いていても、加害者は親族の男性(父親、兄、叔父さんなど)ですが、苦しみの多くは母親問題です。山本潤さんのように、母親が徹底的に味方になってくれることは滅多になく、自分の都合を優先してしまう結果、母親が被害者になった子供を無意識に責める、問題児とみなす、あるいは後年になって「あの子が悪い」と責任を押しつける、といった傾向があります。都合の悪いものは目障りなので、知らん顔を決め込む母親も多いです。
うちの場合は年齢とともに、その傾向が強くなってしまった。そんな気がしています。
親子といえども、形はさまざま。本当に身の危険を感じる人もいます。離れた方がお互いのため、という親子関係もある、ということを知っていただけたなら、と思います。
仲良くすることだけがいいのではなく、しっかり離れることが愛だ、ということもあります。