親への怒りについて

自分がこんなに苦しいのは親のせいだとか、親に謝ってほしい、という気持ちが出てくるのはプロセスとして当然のこと。

遅まきながら、不当な扱いを受けていたことに気づき、怒りを感じるのは当たり前です。

むしろそういう本当の感情が出てこない方が危ない。危ないからこそ感情を抑圧し、しっかり箱にしまって鍵をかけてあるのですもんね。一気に箱の蓋を開けると、自分が吹き飛んでしまって、壊れかねないくらい強いのかもしれません。

パンドラの箱を開けるには、まず、開けても大丈夫な自分の土台を作ることだと思います。

トリガー的なことが起こって、自分と向き合わざるを得なくなることも多いですが、それも含めて必然です。順調、ともいうべきかもしれません。

健在意識は気づいていないとしても、準備ができたよ、というときでないと、トリガーはトリガーとして働きませんよね(^ ^)

重大なトラウマを抱えている場合は、一気に開けると、日常生活が送れなくなってしまうこともあるので、小出しにしたり、一旦、棚に上げてまた日常に戻ったり。私もいろんなことを試しました。

行きつ戻りつ。逆戻りしているのかと思うことも何度もありましたが、そうではなくて、上の蓋が開かないと感じられない感情がたくさんある、ということだったと思います。

怒りや悲しみを感じるために必要なのは、まず自分への信頼

自分を頼りにする、という感覚が少しでも持てていることと、原家族以外の人との信頼関係、つまり安全を確保することは必須ですよね。

自分ひとりではなく、爆風を受けとめてくれるパートナーや、支えてくれる友人、カウンセラーなど、周囲のサポート体制を作っておく方が安全です。

傾いた土台のままだと危険です。でも心の土台がある程度できてきたら、、

私の結論としては、もし周囲が「忘れなさい」とか「親を責めるのはやめなさい」といったとしても、自分が納得できるまでやってみる、ということをおすすめします。

自分を抑えて抑えて、くすぶらせるくらいなら、たとえ不毛な結果に終わったとしても、それでもやってみる。そして往々にして、互いの記憶や見解はまったく噛み合わないものなのですが。

その結果、どれくらい違うのか、ということもよくわかります。逆にいえば、やっぱりやってみなければ、わからない。

場合によっては加害者が手をついて謝ってくれる、ということもあるかもしれません。すべてをわかりあえなくても、ああ、そういう気持ちだったのかとか、そういう記憶しかないのか、と理解できることもありますし、それだけでも自分の視点はちょっと変わっていきます。

加害者本人はダメだったとしても、家族の誰かが理解を示してくれるようになり、まったく無理解だったときより楽になった、というケースもあるようです。

そして私のケースのように「忘れた」と言ってしらを切られたり、「今更どうすればいいんだよ」と、逆ギレされたりするのも結構、ありがちなパターン。たとえ強姦していても、当人はいたずら程度、という認識しかない、ということがようやくわかったのは大きな進展でした。

ま、事実を知れば、さらに腹が立つことになったりもしますけれど。

怒っていいし、憎んでもいい。と、私は思っています。むしろ抑圧された感情を出し切ることの方が大事な気がします。

規範意識が強い人ほど、こんな自分はよくない、親を嫌いな自分が嫌だというダブルバインドで、なかなか憎みきれないのではないでしょうか。

自由になって、自分の負の感情を認めることのなんと難しいことか。

どんな感情もOKだ、と頭では理解していても、自分自身が規範意識や不快感情に耐えられなかったりします。

怒りの放出先はよく紙に書きなぐる、ということが勧められますが、たしかに書くことで整理がついたり、高まった気持ちがおさまってきたり。

でも私はやっぱり、誰かと話す、というのがいちばんいいように思います。安心できる人、信頼できる人に、しっかり話を聞いてもらう。口に出すか出さないかは、大きな差です。

思ったことを話して、どう思う?というフィードバックをもらえる相手がいると、自分もどんどん考えが変わります。必ず一人では気づけない視点がもらえるので、思考がぐるぐるすることもありません。

親に伝えても、自分だって大変だったんだ、当時はそうするしかなかったんだ、と自己主張する親は多いでしょう。機能不全家族の場合、過去のあやまちを素直に認められる親はほとんどいないでしょう。

そもそも親自身が感情を抑圧したり、事実から目を背けたり、自分と向き合うことを避けてきた結果が機能不全なのですから。

そして最終的に、過去の出来事は結局、すべて自分の解釈にすぎない、ということにも突き当たります。

これが親の限界なんだなということがわかってやっと断ち切れる、ということもあります。でないといつまでも、もしかしたら、、いつかは、、などと期待してしまったりしませんか? 先延ばししてがっかりするのは、もっと大変です(^ ^)

事実をはっきりみる、という意味でも、私はものわかりよく引っ込まない方がいい、と今になって思います。

私はなかなか遠慮して思ったことが言えないタイプでしたが、今はふだんの人間関係でも意識的に真っ直ぐに伝える、ということを心がけています。

ちょっと言いにくいことでも、より良い関係になることを願って素直に伝えてみる。それで相手に通じない場合には、パッと諦めがつくのです。

ずっと通じないままかどうかは分かりませんが、今はムリなんだ、とわかればそれでいいですし、それが縁の切れ目になって離れていったりすることもありますが、もやもやせずに、早くわかって良かった、とも思います。

何となく違和感を感じることは早めにはっきりさせてしまった方が、後腐れがない。内心に感謝はあっても、一緒にいる必要はないとわかった方がスッキリしますよね。

自分を大切にするということは相手を大切にするということでもありますし、自分に嘘をつくことは相手にも嘘をつくということ。

親との関係も、そんなふうにやるだけやってみる方がいいと私は思っています。

怒りは破壊的なエネルギーですが、大切な感情でもあるので、拒否せず、そうだよねえって認めてあげることも忘れずに。

結局、怒りの正体は言いたいことが言えないという自分への怒りが大きかったりしますし、自分が自分の感情を認められるようになり、自己信頼ができてくることが、いちばんの収穫だったりします(^。^)