『フラッシュバック 桜守家の近親五重奏』

本業が忙しく、すっかり間が空きました。

公開に向けて少しずつ進めていることもありますが、準備が整いましたら、あらためてお知らせいたします。

今日は『フラッシュバック 桜守家の近親五重奏』という本をご紹介したいと思います。

これは聞き書きによる実話で、実兄から長期にわたる性虐待を受けた女性の長い人生の物語です。

フラッシュバックというストレートなタイトルなので、ためらう人もいるかもしれませんが、少し前の世代に、たくましくも必死で生きた一人の女性の物語としてしみじみと熱く胸に迫る内容です。

桜守家というのは仮名ですが、実際にあった家族の物語であり、性虐待が起きる背景にあるもの、人の心の傷が起こす世代間や兄弟間に起きる「負の連鎖」が克明に描かれています。

たくさんいた兄弟たちは全員、酒乱だった父親の暴力を受けていますが、生まれつき身体障害のあったさとさんだけは受けていません。

長兄は酒乱の父親の暴力をまともに受け、エネルギーも強い人だったため、そのストレスがいちばん弱い妹への性虐待として噴出したのでしょう。

さとさんは父親からの暴力は受けなかった代わりに、幼少期から長兄によるレイプを受け、のちに妊娠もしています。頭のいい兄は人前ではいい兄の顔をするため、周囲の人に気づかれずに上手に虐待を続けます。

なぜ父親がそれほど荒れたのか。五重奏の最初の音はなんだったのかと考えると、父親が戦争で受けた心の荒れが長兄に転移し、一番幼く、無力だったさとさんへの性暴力となったのがわかります。しかし、さとさんにとって父親はいつまでも優しい思い出の中にあり、助けてくれなかった母親への怒りは強いままです。

幼少のさとさんが大人と一緒に強行な泥道を歩き続けているとき、おしっこがしたいというと、母親は「おまえのここが悪い」と言って、陰部に指を突っ込むような女性でした。性を大切にすることとは程遠く、誰にも守られず、粗暴な環境の中で育ったさとさんの壮絶な人生。

戦争による心の後遺症を思わずにはいられません。人の心を荒廃させる戦争はこんなふうに代々にわたって人を苦しめる。暴力をふるう夫と暮らす母親の歪み、兄弟間の憎しみ。まさに二重、三重、、、複雑に絡みあった五重奏の構図がだんだん浮かび上がってきます。

さとさんは成人後、ご縁があって何人かの男性と暮らしますが、肌を重ねることは一度もなく、晩年になっても家にやってくる宅急便の男性にさえ警戒心を感じる暮らしは変わりません。

連鎖とはこういうものか、というものを長い年月に渡って記した桜守家の五重奏。後年は兄弟、姉妹、それぞれの結婚相手も加わり、それぞれの思いが交錯します。最終的に学校の教頭を務めていた長兄には天の報いが訪れますが、その辺りは実際に読んでみてください。

インタビューはさとさんが晩年、一人暮らしをするようになってから行われたものです。一人称では書けないような壮絶な内容になっており、あとがきを読むとインタビュアーも心身ともに疲弊し、ヘトヘトになりながら書き上げていることがわかります。

気難しいさとさんと辛抱強く向き合い、インタビューし続けた著者の結晶、共同制作ともいえる物語です。

人は運命を受け入れて生きていくしかありません。現代よりもはるかに窮屈で周囲の理解も、逃げ場もなかった田舎で一人の女性が懸命に生きた。

人からみればまだ深い傷を負ったままで偏屈にも見えますが、生まれつきの身体的障害を大変な努力で克服し、才覚を発揮して一人で身を立てるまでになったさとさんの生き様はたくましく、見事です。

性虐待が起こる家には、代々続く負の連鎖があるのでしょう。それが飛び火したり、発酵しながら、性虐待という暴力が火花のように起こってくる。

子供を性のおもちゃにする父親や兄弟は自覚もないままに病み、その生を支えていくのはその結婚相手となる女性たちです。

本来ならば精神病棟に入ってもらわなければいけないような家族が、家族の隠蔽によって守られ、逆に被害者は「厄介者」として疎まれたりします。

被害者は告発する勇気のない母親にとっても、きわめて都合の悪い存在になります。

そういえば私自身も、母親が際限なく私に不満をぶつけてくるのはなぜなのか、長いこと苦しみました。なぜ、あんな恨めしそうに私を睨むのだろう。母をかばって沈黙を続けてきたのに、この仕打ちは一体、どういうことなのかと。

母親は夫が性虐待をしていても「だってパパにはいいところもいっぱいあるでしょう?」と言い、私には後年になっても「あなたには感謝が足りない」とよく怒っていました。

「存在するな」というメッセージを与えられてきたことに気づいたのは、何十年も経ってからです。もちろん無自覚にやっていることなので、本人は気づいていません。

おそらく彼女は「娘は自分にとって都合の悪い存在である」という自覚がないまま、「感謝の足りない娘を持った私は不運だ」という自己憐憫の中で死んでいくのでしょう。生まなきゃよかった、と言いながら、感謝してほしいという矛盾には気づかないようです。

人間とは本当に複雑な生き物です。しかしいずれは、すべてのことが時と共に静かに去っていく。

『桜守家の五重奏』は長い年月に渡る人々の物語で、そんなことをしみじみ考えさせてくれます。

フラッシュバック―桜守家の近親五重奏 (現代教養文庫) https://www.amazon.co.jp/dp/4390116444/ref=cm_sw_r_cp_api_i_r3A0CbTQW857Z




黄華鬘の花です。