被害者意識について

日常に起きるさまざまな出来事を一瞬、愚痴りたい、嘆きたい、ということは誰にでもあると思います。言った方も言われた方も、そこでサッと流していけるならば、小さなガス抜きや嘆きは、人間らしさでもあり、いいことだと私は思っています。

正直に本音がいえる関係って、いいものです。

さらに良いのはそこから気づいたこと、掴んだこと、学んだことをシェアできるような関係。本当の共感はそこにあり、喜怒哀楽を共にしていくというグルーブ感も楽しめます。

私は、昔の事を何度も思い出して人の悪口を言って執着している人は、どうも苦手です。たしかに相手が悪いかもしれないけれど、そんな人とつきあったのは誰なんでしょう?  愚痴ってもいいけれど、そのあとに、そこから何を学ぶのか、にフォーカスできない人は成長しないので、一緒にいると疲れてきてしまいます。

で、気づいたことは何? と考えれば、必ず、おお、そうかという発見があり、成長できた喜びさえ湧いてきます。

被害者意識の抜けない人は、いつも「人のせい」にしています。その癖、ほんとにやめないと幸せになれないと思うなあ。

たしかに親や兄弟は選べないし、その中で子供が犠牲になることはありますが、成人以降の人間関係は自分が選んでいるのですから、嫌な相手と一緒にいるのは自分だ、ということを自覚して人生をクリエイトして欲しい、と心から思います。

虐待経験のある人はどうしても被害者意識が抜けず、その後の人生においても支配されやすかったり、犠牲者に甘んじたりしがちですが、そこを突破していくと、気の合う人も確実に変わってきますし、エネルギーを奪う人を上手に避けることもできるようになってきます。

結局のところ誰とつきあうかで、人生が変わる。これに尽きると思っています。人は結局のところ、関係性の中でしか自分というものを自覚できないので。

そんなわけで長々と人の愚痴を聞くことは滅多になくなってきましたが、久々に辟易したことがありました。

最近、親しくなった治療院の先生なのですが、施術の間中、おしゃべりをします。共通の知人の悪口をいったり、古い過去の話を繰り返したり、私が知らない人たちの話ばかり。相手に興味があるかどうかはおかまいなし。中身は半分愚痴、半分自慢です。施術の腕もあって、悪い人ではないんだけれど。。

最初は打ち解けたうれしさからなのか、と思っていましたが、そうでもない。またあのおしゃべりを聞かされるのかと思うとだんだん行くのが憂鬱になり、数回で行くのはやめました、笑。

いい年をしてまだホメて欲しい人、自分の毒を相手に無自覚に飲ませる人っているんですよね。大人になってくれー。こういうおしゃべりおばさん、たまにいますよね(^ ^)   

私は人とつきあう基準を長い間、いい人か悪い人かで分けていました。愚痴が多いけれど、まじめな人だから。マイナス思考だけど、意地悪しない人だから。おかげでいつまでも人を見る目が育たなくて、何度も何度も失敗しました。

被害者意識の強い人は、物事をあるがままに見れないので、曲解することが多く、成長しづらいのです。恨んだり、嫉妬したり、依存したり、自己正当化したり。傷ついたと感じると攻撃してきたりもします。

今の私の基準は「自分に悪い影響を与える人が、私にとっての悪い人」です。

いい人か悪い人かといえば、みんな悪気はないし、いい人です。しかし自覚なく相手を自分のストレス発散に使う人が、いちばんたちの悪い人。人を大切にできない人は結局、相手からも大切にされないでしょう。自分にしか関心が向いていない人は誰とも心の交流ができず、孤独なままです。

私の賢い友人はまず最初に、ちょっと愚痴ってもいい? と、最初に許可を求めます。そうすると私には愚痴を聞くんだな、という器ができるので、いいよ、何? とおおらかに笑って聞くことができます。

そして終わる時に彼女は、しょうもないことばっかり言って、ごめんね、と私をねぎらい、ありがとうね、と感謝して終わります。

彼女は基本的に自分を引き受けて生きている人で、こちらが何か正直に言っても恨むこともないし、安心してつきあえる人物です。私はこんな彼女を賢い人だと思っています。人の話から気づかされることもあるし、人との関わりはやっぱり視野を広げてくれます。

愚痴っぽい人は、自分が愚痴を言っているということに気づいていないのではないでしょうか。本人は近況報告くらいのつもりで、人を嫌な気分にさせてしまうんですね。私もそうだったと思いますが、被害者意識が強い人は、自分が人に与える影響に無自覚です。

 

被害者意識は「人のせい」にするという思考癖

愚痴や嘆き自体はあっていいものだと思いますが、でも考えてみたら〜だわとか、それで気づけたことがね、とか喋っていくうちに、どんどん違うものの見方に移行していく。私はそんな変化を楽しんでいます。

嫌な体験は隠れた感情のトリガーだったり、親の投影だったり、自分のはずせない色メガネだったり。気づくことは色々ありますが、基本的にはすべてただの経験。むしろヘンな意味づけや価値観を外すことが学びだったりしますし、時間が経ってわかることもたくさんあります。

嫌な人に出会ってしまったときは、自分がどういう人が好きなのかがより明快になる、という体験でもありますよね。

コーチングや傾聴もそうですが、誰かに話を聞いてもらったり、フィードバックを受けることで、自分の考えが自然に変わっていったりします。うなづいたり、反応してくれる人がいるだけで、人は案外、自分で答えを見つけていくもの。そんな発見の場に立ち会えるのは楽しくもあり、有り難いことでもあります。

最低限、愚痴を愚痴としてはっきり自覚するだけで、人との関係はスムースになってくると思いますし「聞いてくれてありがとう」、そんなひと言があれば、案外、愚痴も成仏するのではないでしょうか(^ ^)  

 

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